富山県・朝日町観光・北陸宮御墳墓

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【 概 要 】−案内板によると「 北陸の宮は、治承4年(1280)に平家追討の兵を挙げ、宇治川で敗死された以仁王の第一王子で、後白河法皇の皇孫にあたられるが、寿永元年(1182)18才のときに父王の志を奉じて京都を脱出された北陸宮は、越中に入り木曽義仲に属する宮崎太郎長康に迎えられ宮崎の地に居住せられた。翌年8月、平氏が安徳天皇を擁して西国に逃れるや、北陸宮は木曽義仲の後援を得て皇位を後鳥羽天皇と競望せられたが、遂にその選に洩れ、さらに義仲の敗死(1184)とともに支持勢力を失い余生を京都の嵯峨で過され54才の生涯を終えられた。この御墳墓は、昭和45年7月嵯峨御所の厚意により御分骨を受けてこのゆかりの地に奉築したものである。地方に中世の皇族の墳墓のあるのは、わが国でも数少ない。」とあります。
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