【 概 要 】−阿尾城の築城年は不詳ですが永禄年間には菊池武勝が城主になっています菊池氏は当初上杉謙信の支配下にありましたが謙信が死去すると越後に内乱が発生、この機を逃さず織田信長が越中国に侵攻し、当地は富山城主となった家臣佐々成政の支配となり菊池氏も従っています。信長が死去すると豊臣秀吉に従った前田利家と佐々成政が対立、菊池氏は前田家に内通することで難局を切り抜け、以後、前田家に組み込まれ家臣として1500石を領しています。菊池氏の裏切りを知った佐々成政は烈火の如く怒り、報復の為に阿尾城に進軍しましたが、菊池氏は阿尾城に前田軍6千を引き入れた為に、恐れを成した佐々軍は領内に引き上げています。しかし、体制を建て直した佐々軍は成政に従った神保氏を中心として再び侵攻しましたが、激戦の末佐々軍が引き上げ城を守りきっています。阿尾城は江戸時代に入り一国一城令により廃城となり荒廃しましたが三方を断崖絶壁で海に囲まれた姿は景勝地として知られ安藤広重の「諸国六十八景」や旭江の「北陸奇勝」などに画かれ、俳人路青は「 草と木と いづれかあほの 秋ちかし 」の句を残しています。阿尾城は富山県指定史跡に指定されています。
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