高岡市伏木・雨晴岩(源義経縁の岩)

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富山県・高岡市伏木・雨晴岩(源義経縁の岩)
【 概 要 】−平安時代末期に源義経は平家追討、滅亡に大きく貢献しましたが、その後増長した事により、源氏の棟梁で兄でもある源頼朝の許可を得ず朝廷から官位を賜り、その後も頼朝の命令を悉く無視し続けました。さらに、妥当頼朝を掲げ挙兵しようと画策した事で源義経には追討令が発令され源平合戦の英雄が一転して大罪人転落しました。源義経の追討は執拗に行われ、関西周辺での小競り合いなどで徐々に家臣達を失い、朝廷や西国の武将にも見限られた源義経は挙兵を諦め、奥州藤原氏を頼る為に京都を脱出し一路本拠である奥州平泉(岩手県平泉町)を目指しました。雨晴海岸にある大岩は、源義経一行が奥州平泉に向かう途中に当地を通過した際に突然大雨となった為、従者である武蔵坊弁慶が大岩を持ち上げ雨宿りとして利用したと伝えられています。地名の「雨晴」は上記の義経、弁慶の伝説に因むもので、雨晴岩と呼ばれる大岩の頂上には義経神社が勧請され信仰の対象となっています。雨晴岩のある雨晴海岸は能登半島国定公園の範囲内にあります。
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雨晴岩(高岡市伏木):周辺の見所

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