富山県・井波町・井波八幡宮

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井波八幡宮
【 概 要 】−井波八幡宮の前身である大森神社が何時頃から信仰されたのかは判りませんが、当初は谷地区にある八乙女の山頂付近に鎮座していたようです。神陵として信仰になっていた双陵の正面に位置し、双陵の別称として荊塚と呼ばれていた事から、平安時代に著名な神社を列記した延喜式神名帳に記載されている荊塚神社が大森神社(井波八幡宮)とする説もあります(荊塚神社は富山県内に複数社存在し、比定には至っていません)。古くから神仏習合し麓に境内を構えていた天台宗の寺院である止観寺とは関係が深く本尊だった薬師如来像(白山を開山した泰澄大師が彫刻したと伝えられています)を祭っていたそうです。室町時代の明徳4年(1393)に八幡神を勧請合祀し、改めて本殿が造営され以後、八幡宮と呼ばれるようになり、江戸時代前期の正保2年(1645)に、現在地に遷座し随時境内が整備されました。井波八幡宮の境内は綽如上人が創建した瑞泉寺の旧跡で、浄土真宗が盛んになると越前守護や当地の領主との争いが激化し、結果的には瑞泉寺の境内は城塞のように周囲を掘と土塁で囲い井波城とも呼ばれました。しかし、戦国時代になると織田家家臣である佐々成政が越中国の一向一揆衆を掃討し、それに伴い瑞泉寺は没落し井波城も落城し、佐々成政も前田利家に攻められ豊臣家に降伏しています。井波八幡宮が遷座してきた際には瑞泉寺は隣地に境内を移し再興され、井波城も廃城になっていた為に空地で、その後井波八幡宮の境内に見合うように随時改変されています。
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井波八幡宮(南砺市井波町):周辺の見所

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