富山県・井波町・瑞泉寺

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【 概 要 】−瑞泉寺(富山県南砺市井波)は、明徳元年(1390)綽如上人(本願寺5世:南北朝時代の浄土真宗の高僧)が巡教でこの地を訪れた際、霊地と悟り勧進状をしたため創建された寺院です。後小松天皇の勅願所として寺運も隆盛し中世には当地方の一向宗の中心として加賀、越中、能登の一向宗寺院370余寺に号令出来る格式を得ました。石黒氏など周辺領主と対立したことで、文明13年(1484)に瑞泉寺が城塞(井波城)として大改修され境内の周りに堀や土塁を築き永禄年間(1558〜69)には一向宗徒を引き連れ上杉謙信とも戦っています。天正9年(1581)、佐々成政(織田信長家臣:富山城の城主)に攻められて堂宇が焼失し門前町も兵火により大きな被害を受け、宗徒達は五箇山へ逃れたとされます。その後、豊臣秀吉に従った前田家(前田利家の嫡男、利長が富山城主に就任)の支配となり天正13年(1585)に現在地堂宇が再建され江戸時代には越中における真言宗の触頭となりました。現在の瑞泉寺山門は宝暦12年(1762)の火災後再建されたもので文化6年(1806)に上棟しました。三間一戸、入母屋、瓦葺きの2重門で上層部には高欄を回し、細部には京都の前川三四郎や井波の彫刻師が彫り上げた繊細な彫刻が施され、昭和40年に富山県指定重要文化財に指定されています。瑞泉寺式台門は寛政4年(1792)に建てられたもので、門には菊の紋章が掲げられ勅使など格式の高い人達が利用する時だけ通ることが出来ました。棟梁は井波出身の柴田清右衛門、彫刻は北村七左衛門(番匠屋9代)があたり井波建築の原点とも言える建物で昭和30年に南砺市指定有形文化財に指定されています。又、寺宝も多く綽如上人の勧進状と後花園天皇宸翰消息が国指定重要文化財に、絹本著色聖徳太子絵伝(8幅)が国重要美術品に、本尊木造阿弥陀如来立像(平安時代作)が富山県指定重要文化財にそれぞれ指定されています。
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