五箇山・白山宮(覆屋)

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【 概 要 】−白山宮の創建は奈良時代の初期、泰澄大師が越中、飛騨国境の人形山頂に勧請したのが始まりと伝えられています。泰澄大師は越前国麻生津(現在の福井県福井市)出身で、当時の領主三神安角の次男でしたが、家督を継ぐ事が無かった為、14歳には出家して厳しい修行を重ね名僧と呼ばれるようになりました。養老元年(717)には白山を開山し、養老6年には元正天皇の病気平癒を祈願し、見事平癒させ、天平9年には全国的に流行り病となった疱瘡を収束され、正一位大僧正位を賜っています。泰澄大師が何時頃に人形山を開いたのかは不詳ですが、古くから、人形山は女人禁制の修験の場として栄えました。その後、兵火により衰退し小祠が建てられているだけになっていましたが、天治2年(1125)、山裾の集落に住んでいた市郎右衛門の夢枕に白山宮の分霊が立ち神託を授けたことから現在地に遷座し篤く祀られるようになりました。覆屋(茅葺)内部に鎮座する現在の本殿は文亀2年(1502)に建てられたもので一間社流れ造、見世棚、板葺、富山県最古の木造神社本殿建築と言われています。向拝の蟇股は一木を彫り込んだもので舟肘木や頭貫、彫刻など室町時代中期の特徴が見られ五箇山地方の文化を知る上で貴重なことから昭和33年に国指定重要文化財に指定されています。又、白山宮は古くから神仏混合の形態を保っていて主祭神は、白山菊理媛命ですが現在も十一面観世音菩薩像が本尊(本地仏)として祀られ秘仏として33年毎に御開帳が行われています。
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