富山市・最勝寺

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富山市・最勝寺
【 概 要 】−最勝寺は鎌倉時代初期に当地に配された蜷川親綱が蜷川氏の菩提寺として創建された寺院です。蜷川氏は物部氏の流れを汲むとされる宮道氏の一族とされ越中国新川郡蜷川庄を領した事から地名に因み蜷川氏を名乗りました。寺伝では初代となった蜷川親直は平安時代末期から鎌倉時代初頭頃の人物で跡を継いだ親綱によって創建された最勝寺に葬られた事になっていますが、一般的には親直は室町時代の人物とされ政所執事を担った伊勢氏の家臣として3代の蜷川親当は室町幕府の政所代を担うようになり代々蜷川氏が歴任しました。戦国時代の永正3年(1506)に越中国守護代を担った神保氏の台頭により居城だった蜷川城は落城、蜷川氏は新たな領地である丹波国船井郡を領するようになりましたが、蜷川親世を重用した13代将軍足利義輝が没すると出羽国村山郡に流され、一族は領地に近い明智光秀や、四国の長宗我部元親に従っています。最勝寺は大旦那である蜷川氏が越中を離れた事で衰退しましたが、江戸時代に入り、江戸幕府の御家人として生き延びた一族の尽力により現在地に曹洞宗の寺院として再興されました。又、当主は新右衛門を名乗った事から、有名な一休禅師(漫画で有名な一休さん)と仲の良かった足利義満の側近で寺社奉行の武士蜷川新右エ門のモデルになったとも云われ、最勝寺にも一休禅師が度々訪れたとの伝承が残され、境内には一休禅師縁の火消地蔵尊や仏菩薩などが安置されています。
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