富山県・小矢部市・浅地神明社

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【 概 要 】−浅地神明社は平安時代の貞観年間(859〜876年)に伊勢神宮(三重県伊勢市)から祭神(天照大神、豊受媛大神)を勧請し社殿を設けて創建した古社です。ただし、背後のジンデ山(神出山)は古代人の信仰の対象になった霊山で、自然崇拝のような素朴な信仰の遥拝所や祭祀場が浅地神明社の原点だったとも考えられます。鎌倉時代に天皇の勅願所に選定された事から勅使や伊勢神宮外宮の長官桧垣貞尚などが参拝に訪れています。南北朝時代に越中守護職として当地に赴任した桃井播磨守が重病になった際には病気平癒の祈願が浅地神明社で行われ、見事念願成就すると神意に感謝し社領15貫文の山林を寄進し、以後、歴代領主がこの社領を追認ししています。戦国時代に羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)による越中攻め(佐々成政征伐)の兵火により社殿が焼失し境内も荒廃し衰微しました。江戸時代初期に再興され、その際造営されたのが現在の本殿で、室町時代の社殿建築の形式を継承した貴重な建物として富山県指定文化財に指定されています。江戸時代には加賀藩主前田家から社領が認められ、伊勢神の御師も参向したそうですが、明治時代初頭の神仏分離令と廃仏毀釈により多くの資料、記録が四散し詳細が不詳となっています。毎年9月6日の例祭には獅子舞が奉納されています。

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