【 概 要 】−福町神明宮が何時頃から祭られていたのかは判りませんが、創建当初は能登国の二宮で現在の石川県鹿島郡中能登町に鎮座する伊須流伎比古神社の神璽が祀られていたとされます。伝承によると元亀年間(1570〜1573年)に会該山の僧徒同士で争いになった際、一部の僧徒が密かに神璽を持ち出し、福町村字中島に祀ったと伝えられています。戦国時代に当地の領主として木舟城又は今石動城に赴任していた前田秀継(前田利春の6男、前田利家の弟)が祈願所として帰依していましたが、天正13年(1585)の天正大地震で木舟城が大破し秀継も崩れた城に押し潰され圧死、地震の影響により小矢部川の堤防も被害を受け、その後の大雨により大洪水となり福町神明宮の社殿が大きな被害を受け、天正15年(1587)に現在地に境内移し再興されています。元禄15年(1702)に、前田秀継の家臣の後裔で当地に土着した小菅氏、小野氏、水上氏、柳原氏が伊勢神宮(三重県伊勢市)に参拝した際に、伊勢神宮外宮(豊受大神宮)祭神の分霊を当社に遷し合祀しました。社宝として所有している刀は室町時代中期の天文6年(1537)に越中国宇多一派により製作されたもので富山県指定有形文化財(工芸品)に指定されています。
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